女子バレーボール日本代表と活躍する岩崎こよみ選手、ポジションはセッターです。
しかし、高校時代はエースアタッカーと強豪高校で活躍していました。
なぜ、岩崎選手はセッターに転向したのでしょうか?、また、セッターに転向した時期はいつだったのでしょうか?を調べてみました。
岩崎こよみ選手がセッターに転向した理由は?
岩崎選手は、高校時代東京の名門校である下北沢成徳高校ではエースアタッカーでした。
高校卒業後に入団したチーム(パイオニアレッドウィングス)でも入団1年間はアタッカーでしたが、セッターが全員退団してしまったことから岩崎選手がセッターをするようになったようです。
簡単に言いますとチーム事情からセッターに転向されたのではないでしょうか。
また、中学時代に参加した長身長者合宿にて、バレーボール協会が大型セッターの育成を図っていたこともあり、少しですがセッターの練習経験があったようです。
アタッカーとセッターでは全く違うポジションの為に大きな決断になったのではないでしょうか、詳しい情報は確認できませんでしたが、非常に悩んだのではないかと予想されます。
この大きな決断で、後の日本女子バレーボール代表へも影響を与えたことは間違えありません、結果的には大成功と言えるのではないでしょうか。
セッターに転向した選手
バレーボールのセッターは特別なポジションとも言えます、子供のころからセッター一筋の選手が多い中でアタッカーからセッターに転向した選手で有名な選手としては、狩野舞子選手があげられます。
日本代表のアタッカーとして活躍しました狩野選手ですが、久光製薬へ移籍した際にはセッターに挑戦しています。
結果的には、セッターとしての活躍は難しく、非常に高い壁になったとも言えるでしょう。
また、日本を代表するセッターである中田久美さんも元はアタッカーだったようです、信じられないですね。
岩崎こよみ選手経歴は?
それでは、最後に岩崎選手の経歴を確認して行きましょう。
小学校~高校時代
東京都狛江市出身の岩崎選手、地元のバレーボールチームでバレーボールを始めたようですね。
- 狛江セブン
- 下北沢成徳中学校
- 下北沢成徳高校
春高バレーに出場しましたが、1回戦で敗退したことがバレーボール人生での大きな挫折とコメントされています。
高校卒業後
ウキペディアより
- パイオニアレッドウィングス(2008-2014年)
- 上尾メディックス/埼玉上尾メディックス(2014-2018年)
- ラルディーニ・フィロットラーノ(2018-2019年)
- 埼玉上尾メディックス(2019年-)
今回は、女子バレー日本代表のセッターとして活躍している岩崎こよみ選手について見てきました、今後も日本代表を勝利に導く活躍に注目していきたいですね。
また、岩崎選手の「旧姓」についてはこちらの記事にてチェックできます。
今後の岩崎こよみ選手の活躍に期待し応援していきましょう。
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