今回は、日本バレーボール女子代表のセッターとして世界で戦う岩崎こよみ選手について見ていきましょう。
1児の母であることでママさん選手として、パリオリンピックへの出場権を獲得しこれからも活躍が期待できる岩崎選手。
日本代表の中心選手でセッターとのポジションとのことでチームの司令塔でもありますが、元々はアタッカーでした。
そんな岩崎選手の高校時代やアタッカー時代についてチェックしていきましょう。
岩崎こよみ選手の高校時代は?
岩崎こよみ選手は「下北沢成徳高校」です。
高校女子バレー界で下北沢成徳高校と言えば、数々の名選手を生み出してきた名門中の名門と言って良い高校です。
高校2年生時の2007年春高バレーに出場しましたが、残念ながら1回戦で熊本信愛女(熊本県代表)に敗退となりました。
高校3年生時はインターハイへの出場は叶いませんでした、この時代の東京都には「八王子実践高校」が全国屈指の実力を擁して頂点に君臨していたとも言えるでしょう。
しかしながら近年の下北沢成徳高校の活躍は素晴らしく下記の選手たちを輩出しています。
高校時代はアタッカー
岩崎こよみ選手は、現在はセッターとしてチームの司令塔となり活躍していますが、高校時代はアタッカーでした。
高校2年生、3年生時には全日本ジュニア代表として「アジアジュニア選手権」や「世界ジュニア選手権」に出場しました。
ポジションは、WS(アタッカー)で選出されていますが、セッターの練習をしていたのでしょうか、セカンドセッターとして登録されていたようです。
長身長合宿に参加して時にセッターの練習をやっていたとのコメントもありました。
岩崎こよみ選手のアタッカー時代は?
高校卒業後にパイオニアレッドウィングスに入団しました、この時はアタッカーとしての実力が評価されての入団になりました。
2009年にはセッターとして日本代表に選ばれますが、パイオニアでは、セッターをやりながらライトからアタックを打つなどしセッターとアタッカーの二刀流としてチームの貢献してきました。
アタッカーとしての活躍の期間は少なかった岩崎選手ですが、元アタッカー、しかも全日本ジュニアに選出されるほどのアタッカーとの実力は素晴らしく、セッターとなった後にも大きなアドバンテージになりました。
相手チームとしては、アタック力があるセッターの存在は脅威になったのではないでしょうか。
その後、イタリアのラルディーニ・フィロットラーノに1シーズンの期限付き移籍するなど活躍の幅を広げ、パリオリンピック予選では最年長ながら日本の司令塔としてチームをパリオリンピック出場へ導きました。
岩崎こよみ選手のプロフィール?
それでは、ここで岩崎こよみ選手のプロフィールえお見ておきましょう。
岩崎選手は結婚され岩崎の姓になりました、旧姓については下記の記事にてまとめていますので是非ともチェックしてください。
まとめ
今回は、女子バレーボール日本代表の岩崎こよみ選手について見てきました。
元はアタッカーとして高校時代から活躍しVリーグ入りしたこともわかりました、そんな岩崎こよみ選手を今後も応援していきましょう。
頑張って下さい。
今回は最後までお読みいただきありがとうございました。
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